で、その嫌悪感とか違和感は本当は何なのだろう、と

相田みつを的なるものとして抽出した、「大きなものに生かされている」意識に違和感を覚える、というより、恐らく相田みつをの作品に漂う押し付けがましさやら過剰な情緒性やらに反発を感じる、ということなんではなかろうか。であれば、それはひとえに相田個人の性格とか資質によるもので、その世界観、宗教観の所以ではないと思われるんだが。というのは単純に過ぎるか。
「俺がとりわけ舌を出したくなった一節」については、まあ、その気持ちもわからなくもない、というか、臆面も衒いも無くこうハッキリ言われちゃうと、天邪鬼気質の方々はうわー!やめてー!となることだろう。とりわけ知的な人々ってのは、わかりにくいものにより魅力を感じるようだし。私も天邪鬼なんで、こうなったらもう敢えて、このストレートさがいいじゃないか、とか言いたくなるね。って、ひねくれすぎかもしれないが。
ただ、相田みつをは第一に書家としての自負があったらしく、書体や余白にも相当こだわって書いていたそうなので、単にスクリーン上で文言を読む/見るんでなく、実際の作品と対面してみないと何とも言えない部分があるかもしれない。