オットーは明日から入院して手術を受ける予定。一応は胃潰瘍ということらしいが、もっと悪性のものなんぢゃないのか、ホントは。
でも胃癌であれば、痩せ衰えてしまいそうなものだが、相変わらずオットーの胴回りは太い。信楽焼きの狸さんに勝るとも劣らない、あの腹の出具合を考えると、やっぱ癌てことはないかな、とも思ったり。

年末のクソ忙しい時期にオットー君が無理やり来日したこともあって、暫くの間身辺騒がしく、この日記も放置していたが、1月も下旬に入った今、ゴタゴタしたことどもも漸く収束しそうな気配である。ホントは1年の〆として「今年2006年に読んだ本の中で、ものすごく気に入ってのめりこんだけど、そうした思い入れが強すぎた為か、なぜかこの日記では触れ(ることが出来)なかったもの」というのを書きとめておこうと思っていたのだけど。
とりあえず書名を付す。

『フィーヴァードリーム』
『蛇の形』
『頭蓋骨のマントラ
シルクロードの鬼神』
『霊峰の血』

むむーぅ、こうしてタイトルだけ並べると、えらくキワモノっぽいのー。読んでるとこを他人に見られたくないような。でも題名のエグさに惑わされてはいけない。いずれも人生において忘れられない1冊となること必定。新たな地平に立たせてくれる。少なくとも私にとってはそういう作品であった。確実に私の一部を変えてしまった。
感想等はいずれまた。

サムズダウン

図書館の死体 (ハヤカワ文庫―ミステリアス・プレス文庫)
図書館の美女 (ミステリアス・プレス文庫)
ジェフ・アボットの図書館シリーズ。『図書館の死体』『図書館の美女』を読んでみたが、つまらんのー。前者はまだいいとして、後者はもう読む気が持続せずに頓挫。主人公のポティート君も滅菌処理したオノコという感じで、薄味すぎるきらいはあるが、それは別に問題じゃない。何が一番つまらないかというと、ポティートの恋人として登場するテキサスのお姫様、キャンディス。彼女がイヤ。面白みに欠ける人間なんだわー。ポティート以上に薄味。実はビッチ的性分も持ってるのに、それがなんとも平々凡々としたしょーもない空疎なビッチぶりで欠伸が出る。まあ、お姫様だからしょうがない。キャンディスがパートナーとして今後ずっと出てくるのかと思うと・・・・・・多分、3作目にはもう手を出さないな。
彼女と対比した位置にいる女性陣のほうが断然魅力的だったりするんで(ルース・ウィルズ然り、ローナ・ウィアシンスキー然り)、セイレンケッパクなポティート館長にはぜひ一作目でヴァンプなルースと結ばれて欲しかったところ。で、ルースが手を染めている悪事にショックを受けながらも、ポティートは彼女と付き合うことを選ぶ。で、二人はコンビとして陰に陽に町の事件に関わっていく。町民に格好のゴシップネタを提供しつつ・・・ってな展開だったら面白かったかも。

サムズアップ

探偵になりたい (ハヤカワ・ミステリ文庫)

探偵になりたい (ハヤカワ・ミステリ文庫)

面白い。私の好み。どことなく、アルバート・サムスンを彷彿とさせるスタンリー・ヘイスティングスサムスンをアク抜きした感じか。かといって、けっしてヘイスティングスは甘ちゃんじゃないし、フツーのおじさんでもないね!続きが読みたい!

ゴダイヴァ夫人

知人からゴディバのチョコを貰う。何か欲しいものがあるか?と聞かれたので、あまり考えもせず「ゴディバの一口サイズの板チョコで、エクストラ・ビターのヤツを所望」と答えたら、親切にも本当に買ってきてくれたのだが、値段を聞いてぶっとんだ。
このちっちゃな1枚が100円もするんかい!
けっして誇張ではなく、実際に貧しい私の経済状況では購えない、購う気になれないチョコである。


↑写真では大きさを比較できるよう、フツーにスーパーで売ってる一口チョコ(金紙で包んであるやつ。「アルファベット・チョコレート」とかと同じサイズ)を並べてあるが、このゴディバちゃん、けして大きなものじゃないのにー。リンツの板チョコ一片よりも二まわりは小さいぞ。
 
それを此度は20枚分、お店で箱詰めにしてもらったので、このケータイ程の大きさをしたボックス一個でしめて2000円也。

私は子供の頃からチョコ好きで、特にビターの、当時は今のようにカカオ86%とか99%とかいうのは無かったが、とにかく苦味走ったカカオ分高配合のものに目がなかった。そういえば、幼少の頃はチョコを食べるとなぜか便秘になっていたようで、母からは「チョコレートは一度にたくさん食べちゃいけないからね」と言い渡されていたのだが、今にして思えば、チョコって食物繊維豊富な筈なのになぜ私はベンピに?と不思議な話ではある。
でもって、生チョコやらなんやらというより、シンプルな板チョコが一番好きな私は、ゴディバでもいつもこの一口サイズの板チョコを贔屓にしていたが、実は自分で買ったことは一度もなく、大抵誰かからのプレゼントとかであったため、そうそう安いものじゃなかろうとは想像していたが、まさかこんなに高いとは思っていなかった。
もう気軽に「ほれ、ゴディバのあのチョコ、あれ頂戴!」などとは言えない。
デル・レイの板チョコも大して有り難味も覚えず*1、バクバク食べてしまったが、恐ろしく高かったようだ。
ジャン=ポール・エヴァンもいつかは食してみたい、と思っていたが、ゴディバよりさらにお高いことだろうし。

貧乏人にとっては、リンツですら高級板チョコとして眩しく君臨しているので、リンツほど高くなく、値段もお手頃、しかも美味しいプーランのカカオ86%というのをよく買っていたのだが(それもあーた、明治屋とかソニプラとか成城石井とか紀ノ国屋とかなんかじゃ買わないもんね。そういうものはカルディで買うに限る。)、ゴディバちゃんのお値段を聞いた日には、リンツなんて安いじゃん、と錯覚しちゃうわのー。


いやー、でもフツーのスーパーで手に入る日本のチョコも結構侮れませんぜ、あれも十分美味だ。私には御の字である。結構なんでも美味しく頂けてしまう、シアワセなのかフシアワセなのか微妙ではあるが、許容範囲の広い臨機応変な舌を持っていて良かったなー。

*1:だって言われてるほど旨いもんでもなかったんだもーん!←バカ舌だからか?

イオウトウ

お二人の方が前後して、それぞれ自分のブログで『父親たちの星条旗』の感想を載せておられたので、読んでみた。両ブログとも以前からアンテナ登録しており、ちょくちょく拝読しているブログで、まったくのトーシローではない、文章を書く仕事をなさっている方々の綴るもの。

映画での戦闘シーンを語る上で、どちらも奇しくも『プライベート・ライアン』を引き合いに出している。が。

ここでは仮に田中さんと山田さんと呼ばせて頂くとして、片や田中さんは「目を覆うような凄惨なシーンは無い。凄惨さの度合いは『プライベート・ライアン』を10とすると『父親たちの星条旗は』3といったところ」と仰り、片や山田さんは「戦闘シーンがすさまじく、あの『プライベート・ライアン』を超える圧倒的なリアリティと臨場感がある」との評である。
肝心の『プライベート・ライアン』を観ていない私はわからないので、うーん、自分が「凄まじい戦闘シーン」として思い浮かぶのはどの映画か、と考えてみる。戦場で戦うとはこういうことだったのか、とギリギリと我が身に痛みが突き刺さるように感じたのは『グローリー』という映画。これはアメリ南北戦争での黒人部隊とそれを率いる白人将校を描いたものだったので、戦闘の状況が思いきりクラシックなのであるが、ゆえに余計痛覚が刺激されてしまうというか、当たり前のことながら、弾があたれば肉が裂け血が吹き上がる、という生々しさが強烈で、身がすくんだのを覚えている。
この、我が身に感じる「戦闘の凄まじさ」のリアリティを考えると、『父親たち〜』の中のバトルについては、さほど強烈には感じられなかったので、田中さんの感想により共感する。ま、悲惨なものに対する私の感覚が麻痺してきている、というのもあるかもしれないけど。

で、田中さんも注目したインディアンの青年*1だが、彼に対する周りの反応とか、なんというかもう、ジム・チーが居留地を離れDCに行って受けたキワモノ扱いなんかともかぶってしまって、やるせない気持ちになった。   
さらに田中さんとこで初めて知ったのだが、硫黄島って「イオウジマ」でなく「イオウトウ」って読むのが正しいのだね。しらなんだー。映画でも兵士らが「イーオウジーマ」と連呼していたが、アメリカがこの呼び方を広めたそうだ。そういや、「柴犬」も「シバケン」でなく「シバイヌ」として英米では広まってるんだけど、音読みより訓読みが好きなのか、彼らって?

*1:シャーマン・アレクシー原作・脚本の『スモーク・シグナルズ』に出てるのと同じ俳優(アダム・ビーチ)が演ってた。