これは個人的な妄想にすぎないんで、取り合ってくれなくてもいいです

「大きなものに生かされている」という相田の思いを、単に「日本人が古来、仏教伝来以前から持っていた、宗教意識の原点みたいなもの」としてだけ説明するのは、十分ではないんじゃないかと私は感じてしまった。
dozewuさんが辟易するほどに、「大きなものに生かされている」という感覚というか確信が、相田の作品全体を強く貫いているのならば、恐らくそれは相田がどこぞでこうした考えを仕入れてきたとか、なんとなくそう感じていたとかいう、薄っぺらな理由からじゃなくて、身をもってこれを体験したからなんじゃないか。確たる証拠があるわけではない。ただ、相田みつをは若い頃暴漢に襲われて重傷を負い、長期にわたり入退院を繰り返したという。神経衰弱、不眠症を患い、人間不信に苦しんだ時期もあるらしい。
これは私の全くの想像で何の根拠も無いが、相田は「どうしようもない自分も一人で生きているのではなく、何か大きなものに生かされている」との思いを単なる知識としてではなく、わが身を通して深く確信するに至った、なんというか、聖なるものとの遭遇というか、それこそミステリウム・トレメンドゥムを体感するような瞬間に遭遇したのかもしれない。なぜなら大病を患い、あるいは大怪我をして生死の境をさまようといった苦しい危機的経験をした人は時に、「自分は何故死なずに済んだのか」と考え、「何かに生かされている」ことを身をもって知覚/理解する瞬間、それを境に世界が全く異なる姿で立ち現れてくる瞬間に出会う、と聞くからだ。