些末なことかもしれないが、人を畏怖する神についてちょっと

気に入らないことがあれば平気で人間を虐殺する、人間とは隔絶された理解不能絶対神を発明したユダヤ教的宗教感覚(言うまでもなくキリスト教イスラム教の原点だ)のほうが、むしろよっぽど特殊なのである。

とおっしゃるが、そんなことはないだろう。日本の神様とかってのは、人の畏れの対象でもあって、祟りもすれば生贄も要求する、理不尽な荒ぶる神という性格も持ってるわけで、善悪ではかる神ではなく、ただただ人を圧倒的な力で畏怖する存在だったりする。日本的な、というか、アニミズム的な世界観であればなおさら、神は畏怖の対象でもあるんじゃないか。自然は人に飼い馴らされたりしないんだから。
そして、「大きなものに生かされている」と感じることは、自分=人間だけではどうにもならないことがこの世界にはある、と知ることでもあり、それは是非の判断を超えたものであるが故に、畏れの感覚を孕んでいるのだと思う。だからこそ、もう自分がぐちゃぐちゃ言ったり考えたり行動したりするのを超えたところで「大きなものに生かされている」んだとすれば、そりゃあ絶対的な自己肯定にも当然つながっていくんじゃなかろうか。