"culture" is a slippery word to capture

またも引き続きフランス事情を求め、しばしネットを徘徊してみる。はあ、そうですか、という感じで毒にも薬にもならない内容のブログも散見される中、気になったのは「みんな高い税金払ってるのに。この暴動によってまたしても文句たれのアラブ・アフリカ系ばかり優遇されるなんて許せん!あいつら、ただの怠け者なんだから」っていうやつ。ま、とりあえずの真情吐露だとしても、どうにも短絡的にすぎるんじゃないのかね。

で、そのあたりの事情に不案内な門外漢ながら、やっぱり何やら米国の黒人問題と似通ったものも結構あるような気がしてしまうのだけど。
ま、移民に限らず少数民族とか、社会におけるいろいろなマイノリティに関わる問題全般に通じる部分があるのだろう。エスニシティやら、各人の拠って立つ中心に何があるのか、といったことやら。

以下のお話↓は興味深かった。

移民二世とワールドミュージック - フランス語系人のBO-YA-KI
アイデンティティは創りあげるもの - フランス語系人のBO-YA-KI
一枚岩がそんなにたくさんあるとは思えません - フランス語系人のBO-YA-KI
「フランスは同化主義だ」と言うのは間違いのもとだと思います - フランス語系人のBO-YA-KI
アズズ・ベガグ - フランス語系人のBO-YA-KI

で、私も不用意にバンバン使っちゃってる「文化」という言葉、この扱いは実は相当難しい。でもその定義にあまり目を奪われると撞着状態に陥るばかりなんで、もうバンバン使うことにしているが、確かに「文化」と人間の尊厳、アイデンティティ、といったことは鍵のひとつだろうと思う。
ただ、下記のようにおっしゃられる通り、「共通基盤」に立つことを前提としてアイデンティティ形成を語る場合、その「共通基盤」とか「共通ルール」とかがどんなものかというのが問題だったりする。

よく言われることですが、フランス精神は普遍性を尊ぶ。ということは万人が理解し合える共通基盤というものがあるはずだし、それを持つべきだと考えるわけです。その普遍性とは多くの場合西洋的合理精神であり西洋言語による西洋的教養であったりして、その意味では問題があるのですが、言葉を変えると、異文化に属する相手を「化け物」扱いせず人間扱いする、ということでもあると思うのです。