ゲットーの女たち

第2次大戦前の東欧なんかのユダヤ人ゲットー。デナンクスの『記憶のための殺人』におけるアルジェリア人の生活ぶりのくだりを読んで頭に浮かんだイメージである。デナンクスの描写がどれほど当時の状況を正しく伝えるものなのかは不明だが。


時は1961年、カイラはこれからアルジェリア独立戦争絡みで計画されたデモに向かうところ。

カイラが中庭で弟を待っていた。彼女はこのスラム街に住む他の若い女たちとは似ていない。二十五歳ともなれば、カイラの女友達は皆、何年も前に結婚して子供をぞろぞろと引き連れている。似たりよったりの殺風景な中庭と、ナンテールの町にあるスーパーマーケット<プリズュニック>が、彼女たちの世界のすべてだ。工場群とセーヌ川に挟まれたいくつかの空き地で出来上がっているひとつの世界。あの華やかなシャンゼリゼ大通りからバスでたった十分の距離だというのに!カイラは、スラム街の外へは二年も三年も足を向けたことがないという女たちを何人も知っていた。


で、「閉鎖された世界」に押し込められているのか、自ら閉じこもっているのか微妙ではある。女性の場合、差別や貧困だけが原因ではなく、多分にイスラム的風習による部分があるのでは、と思うから。
本国を離れ移民として非モスリム社会に暮らすモスリムは時に故国における規範や慣習を堅固に保持し、より保守的な空気の中で暮らそうとするという*1。これはモスリムに限ったことではないだろうけど。日本からの移民の場合も、1世などは特に、自らを支える拠り所として強く意識するのか故国の文化、風習を重んじることが多いし*2
ただモスリムの場合は、女性は勝手に一人で知らないところを出歩いちゃいけません!となりがちなわけで、移り住んだ国でも余計閉じこもり気味になるのかもしれない。
その上で、「移民=劣っているヨソ者」という冷ややかな視線にも常時さらされるとしたら、そのしんどさはとてつもなかろう。今回フランスで暴れている若者らは男であるわけだが、彼らの母親や姉妹であるアラブ系移民女性らはどうしてるんだろうか、などと考えてしまう。
 

*1:これに関しては移民1世と2世以降では温度差があって、その差が時に悲劇や惨劇をもたらす。自分の子供はイスラムの教えに反する行為をしている、として強行手段を取る父親が実際にいるのだ。父親の側からしたらそれはやむを得ない当然の帰結であるかもしれないが。娘には休暇で帰るのだと思わせ真の目的を告げずに故国に連れて帰り、現地で無理やり親の決めた相手と結婚させたり、また家族を汚した(性的に自由であることがタブーとなるので)という理由で殺したり(現地ではこの種の殺人が認められていたりする)、という事件は実際に起こっている。

*2:北米、南米の日系人の歴史も耐えがたきを耐え、という苦労の積み重ねであろう。南米は一般にアジア人に対する差別はかなり強いらしく、大変そう。日本人に限らず、中国からの移民も多いわけだが、両者とも基本的に真面目で勤勉に頑張る性格なのか、差別の風圧にも負けず、世代を経るにつれ社会階層の梯子を上っていくようだ。