雑感:非欧米ファンタジーだのSFだの

先日のコメント欄での話題がきっかけとなり、id:gmsさんより、欧米以外でのSF事情等に言及しているサイトをいろいろ教えて頂きました。どうも有難うございました。
で、さらに引き続き、非欧米諸国でのファンタジーやSFってどうなの?ってことについて、ダラダラと思ったままに綴ってみる。

gmsさんがご紹介下さったサイトに、「中国科学幻想小説」と呼ばれる中国SFの作家のことが載ってたんだが、あの大国の圧倒的な伝統、文化、加えて近年の目覚しい発展を鑑みれば、今後中国からすごいSFが登場するかもしれないなー。文革で荒らされたとはいえ、そこは痩せても枯れても中国、潜在的な知の力は只者じゃないわけで。優秀な人材がうようよしてそうだし、国外で学び、活躍してる人々もハンパじゃなく多いんだし。米国とかで既に中国系移民からの優れた作家が登場してるし。そうした現代の新たな知性と、andyさんがおっしゃるように幻想怪奇譚や、あと道教とか神仙とか陰陽五行とか、なんかわかんないけど、中国の地に眠る諸々の蓄えとがうまく出会えば、おっそろしい作品が出てきそう。ホント、香港の映画なんてのも、そういうものの寄与を受けての一つの顕れかもしれない。
で、中国のことを考えてて気付いたんだが、そうだ、インドも忘れちゃならない。あの国にも奥深い伝統が横たわってる。中国と同様、移民も多く、その中から著名な作家も生まれてるんだろう。そういや、『悪魔の詩』のラシュディってイスラム系インド人だっけ?それともパキスタン人だったか?
誰でも知ってる大御所としては、タゴールとかナイポールを輩出してるし(ナイポールは母が持ってたので、子供の頃にちょっと手を出してみたことがあるんだけど。いやあ、ボーっとした子供には、歯ごたえありすぎてわからんかった)。アタルバ・ヴェーダとかの民間信仰や呪術、ヴェーダ時代以前の古層から発している文化、伝承、知識とか、中国に負けず劣らずとてつもないものがありそうだし、インドも期待度高いわ。英語使えるしね。
しかし、欧米への移民作家は広く評価される可能性がある、というのは発表の場が欧米であり、使用言語が英語やそれに準ずる言語ってことが大きいんだろうな。本国で母語を用いて発表する作家が国外で紹介されにくいだとか、英米圏の作品が多くを占めるアンバランスな出版状況だとかいうのも、市場の成熟度以外に、マイナーな言語で書かれているという問題が少なからず関係してるはずだ。そもそも一般に知られる機会自体が少ないわけだから。現在では英語という支配的言語が世界を席巻しており、それらを翻訳、紹介するケースが圧倒的に優勢なのだけれども、やはりこの場合でも言語獲得は力につながってるってことか。

とまれ、現在ファンタジーの中心的源泉として存在するヨーロッパ的オカルティズムに対して、中国・インドを筆頭とするアジア的オカルティズムの勃興、そしてそこから開花するであろうアジアン・ファンタジーの隆盛を勝手に期待する(あ、でもひょっとしてこういう作品、既に多発して、潮流の一つになってるのか?)。
それに別に移民とかじゃなくても、日本で日本人作家がアーサリアン・ポップ等々、西洋的モチーフを使ったファンタジーだって書いてるし、各国の作家が国籍や出自にとらわれず、想像力を羽ばたかせて世界各地の神話や伝承を下敷きにして創作した作品、っていうのだったら、結構ありそうだ。
民衆文化の中に脈々と受けつがれた土着的、民俗的な神秘主義や大いなる知識の遺産は、新たな語り手によって発掘され、新たな作品として昇華していくんだろう。