"Ishi in Three Centuries"(ISBN:0803227574)

イシと呼ばれた彼がオーロヴィルに現われて90年余。イシの関連書籍が新たに刊行されたとのことで、現地で買ったほうがいいかなーとか、さんざん逡巡したが、このたび思いきってamazonで取り寄せてみた。アメリカでは昨年出たやつなんだけど、日本で翻訳出版してくれるかわからないし。
本書ではアルフレッドとシオドーラ夫妻の息子、クリフトン・クローバーとカール・クローバー(それぞれ歴史、文学の研究者)が編集を担当、数年前に起きたスミソニアンからの脳返還問題などもカバーしている。というより、この問題の勃発が本書出版の推進力になったようだ(全部で5部構成になっており、第2部はまるまるこの問題に割かれている)。ちなみにル=グウィンにとってはカールは実兄にあたり、クリフトンは恐らくシオドーラの連れ子ではないかと思うので、異父兄妹ということになるだろうか。
簡単に中味を一瞥してみた限りでは、写真や絵、地図なども載っており、目にも楽しい感じ。で、この地図がまた、私の目下の関心事であった「イシ詣で」にドンピシャリ。私のためにあつらえてくれたの?などという、甚だしい勘違いをしそうだが、旧人類学博物館は予想通り、Mt.スートロに続く敷地内にあったことを確認できた。また、イシは容姿の上でもすぐれた、内面の美点が滲み出ているかのようなハンサムな人で、なかなかの偉丈夫であるため、彼の写真を見るのはいつも楽しみだ。ただオーロヴィルの留置場で最初に撮られた有名な写真には、積年の孤独とか、自分達の仲間を殺戮した白人とその社会に対する不信、恐怖といったものの暗い影が写りこんでいるようで、彼の表情は呆然とした不安げなものであるのだけれど。ほかにはヤヒ語のテキストなんかも記載されていて、この言語、ムチャクチャ複雑で難しそうだが、何となく声に出してみればイシを忍ぶ縁となるような気も。

イシは1916年、結核によりこの世を去る。当時アルフレッド・クローバー(UCバークリーの人類学者、イシと最も親しかった一人)はサバティカル中でサンフランシスコにおらず、イシの葬儀にも出席できなかった。イシの死が近いことを知らされたクローバーは死後の解剖に反対し、科学的研究のためイシを解剖するなどという話が出たら、「科学なんか糞くらえ、と私に代わって言ってやればいい」と手紙の中で指示している。だが、クローバーのこの手紙は間に合わず、イシの脳は「科学的研究」という名目のために摘出され、ホルマリン漬けの標本となってしまう。脳以外の部分は荼毘に付され、その遺灰はプエブロ・インディアンの壷におさめられて、イシと親しかった大学関係者の人々の手でコルマの墓地に安置された。
サンフランシスコに戻ったクローバーは、かつての友人の脳が標本として残されているのを発見し、悩んだことと思われる。そして結局は「科学的研究への寄与になるならば」とスミソニアン博物館へ寄贈する、ということになるのだが、何故クローバーがこのような対処をしたのかは不明であり、本書でもいろんな立場の人がそれぞれ推測しているが、いずれも推測という範囲のものでしかない。こうした一連の事実、クローバーが手ずからイシの脳をスミソニアンに送付し、これがスミソニアンに保管(というか脳の存在自体が忘れ去られ、放置に近い状態にあったらしい)されていたという事実は、知る人ぞ知るという感じで、自身もインディアンであるアート・アングル氏(ビュート郡ネイティブアメリカン文化委員会会長)が1999年にイシの脳の返還要求を出すまで、公に広く知られることはなかったようだ。

博物館に展示品あるいは資料・標本として展示・保管されている先祖の遺体や遺品の返還要求運動は、80年代頃から盛んになってきたようで、ヒラーマンの『話す神』でも取り上げられているが、わけてもイシの件は注目を集め、論争を巻き起こした。人類学はその来し方とともに、現在も常に問われるクリティカルな問題を眼前に突きつけられたわけだ。クローバーがその設立・発展に尽力したUCバークリーの人類学部は、教員の間で幾度かミーティングを設け、この問題にどう責任を持って関わるべきか討論を重ねたそうだが、その中ではクローバー・ホールという、彼の名にちなんだ人類学部の建物の名称すら変更したほうがいいのではないか、という声も出たという。
かかる討議をうけて、1999年5月にUCバークリーの人類学部は声明を発表している。本書にも収録されているこの声明は意外と短いもので、イシの脳の処遇に対する責任をすべからく認めているのは予想通りとして、一読してみた印象では、なんだかあっさりしているな、と思った。もっと激しい内容を想像していたので。ま、そこに辿り着くまで紆余曲折、喧喧諤諤の議論があってこういう形になったらしいが。
私自身は、クローバーら当時の人類学者が研究のためにイシを利用するだけ利用して、しまいに裏切ったのだ、という批判は必ずしも正当ではなく、彼らは当時の社会・文化状況の下では最も人間らしいまっとうなやり方でイシと関わっていたのでは、と考えている(というより、そう考えたい)ので、本書の第2部第7章(執筆担当はジョージ・M・フォスター、人類学者)の内容に近い気持ちを持ってしまうが、イシの問題によって象徴的に呈示された、人類学一般が抱える問題の難しさについては、これは一体どうしたものかねえ、と溜息が出る。