とりもなおさずそれは愛ってことで

で、やっぱり私は彼女が好きだ。私にとっては、なんというか、おっそろしく頭の良い人なんで、彼女の足跡を辿ろうと追っかけてみても全然ついて行けない哀しさを覚えつつ、いつか私もそこまで行ってみたい、そして彼女の目に映る風景を見てみたい、と憧れと同時に幾ばくかの畏れも感じるメンターとかグルのような存在、と言ったらいいか。
子供時代は『ゲド戦記』三部作を読んで過ごしたが、それらと趣きの異なる4作目『帰還』が上梓される頃までには、既に彼女のSF作品や評論、エッセイなども読み、その問題意識に接触済みだったため、この作品を受け入れる準備が出来ていたように思う。それから約10年、『アースシーの風』、『ゲド戦記外伝』と相次いで出版され、作家の抱えている思い、意識の変遷を慮りながら、ゲドやテナー、テハヌーらの物語を我が身に投影して読めるようになってきた自分がいる。
はたして子供の時に『帰還』以降の作品群を読んでたら、どんな感想を持っただろう。案外すんなりと受け入れて子供なりに楽しんでいたかもしれないが、多分ありがちな反応を想像するに、なんかよくわからん、つまんない、とか思ってはねつけてたんじゃなかろうか。時を経て何度も読み返してみれば、また違う感想を持つことも出来るんだろうが、第一印象ってインパクト大きいから、子供時代の印象そのままに食わず嫌いになった可能性も高そうだ。
こういった作品との出会い・めぐりあわせのタイミングというものを考えると、私は恐らく『ゲド戦記』読者としては幸運なんだろう。この物語と共に歩みを進めて成長した、なーんて言うとカッコよすぎるけど。