脳天気な譫言だとしても

中国での反日デモの激しさに関しては、ことさら日本の残虐さ加減を強調してはいたずらに愛国心を煽る彼の国の歴史教育の影響もあるのでは、とか言われてるが、ネットで世界各国の多様な情報が閲覧できる現在、たとえガッコで偏った教育を受けてきたとしても如何になんでも大学生ともなればある程度自らの認識の歪みやバイアスの修正だってきくんじゃないの、と想像してみる。うーん、でも日本のウゾウムゾウのありさま、あれを見るとそんなの希望的観測にすぎないか。
まあ、日中双方ともに情報や認識や理解の多寡、歪さなど問題は抱えながらも、とりあえず耕したり均したりする土台となる知識はあるわけで、ならばそう悲観したことばかりでもあるまい、と考えてみよう。
私は米国のガッコに通ってた時代があって、まあ、なんせ20年近く前のフツーの(どっちかというとレベルは低い方だったかも)公立でのごく個人的な体験にすぎないんで、どれほど一般化できるものかわからんが、世界史ってお粗末だったなーという記憶がある(つーか、教科全般においてダメダメ臭が濃かったような)。だからフツーの米国人って、世界各地の歴史の流れについて概説のようなものですら驚くほど知らなかったりするのかも。ウチの母(主婦。専門家に非ず)がシルクロードについてちらと語ったら、「すごい、そんなの聞いたことなかったわ!」と感動してた米国人(一応ジョージタウンとか行った人なんだけど、彼女がとりわけトホホだったのか)なんかが存在し、たまげたものだが。アジアは意識の範疇から外れてるのかいな、やはり。で、知らないものは想像できない、存在してない、ということになってきちゃったりするからなーと思うと、ブッシュに代表されるあの思慮の無さや野蛮さともまったく無縁ではなかろうて、とつい結びつけたくもなるわ。
それに引替え、丸暗記してるだけで身についてないとも言われるものの、日本のガッコでは世界史って一応ちゃんと押さえてるんじゃないの?○○年に○○が起こった、というのだけでも、知ってるのと知らないのでは違う。0と1の差は途方も無く大きい。
中国の社会科教育も気になるところだが、どうなんだろうか。
ま、歴史ってのも、特に近現代史なんて記憶が生々しいだけに取り扱いが難しいのかもしれないが、客体化した俯瞰的な視点てのは無理なんだし、そしたらやっぱ人類学的手法が有効になる部分がもっとあるってことかしら。中学や高校からも人類学の所産をどんどん使っていけば、世界や人間の理解に寄与するところ大なのでは。より重層的に世界を見つめる、ということで、歴史や地理、倫理、政経、といった科目と同様に人類学、民族学民俗学とかが設けられても良いように思う。