サルでもわかるなんて言ったら罰当たり

われわれが忘れがちなのは、動物というものが知力の高さで人間と優劣を競いえる必要のないことだ。どの種にも、世界に対する固有のものの見方がある。(中略)類人猿は、指で抽象的な合図をしたり、実験室に1人ですわって、色と形のちがうプラスチックの小片を使ったりする実験台になるようには進化していない。彼らが知力を進歩させたのは、社会の問題を解決するためだ。彼らの感情生活は、じつに豊かだ。彼らはじぶんたちの群生社会を一生懸命意識しており、直感でもって、強調したり、宥和したり、張り合ったり、仲直りしたり、協力したり、計画をたてたりして、たえず社会に順応している。類人猿は、おたがいの目標や意思を理解しているかのようだ。

ナショナル・ジオグラフィックソサエティー編 『追いつめられた隣人 類人猿たちはいま』

偉いわ、君ら。

賢さとはとどのつまり問題解決能力の有無であり、形而上、形而下にかかわらず、なにかしらの問題がある時、それをいかにうまく取り扱っておさめていくのかということに尽きる。で、つくづく賢くない生き物なんだなー、私。どうしたらいいんだかわからんし、どうしたいのかもよくわからん。これは昨年から引き続いている課題。