眼科にて

右眼の具合は相変わらず。痛みこそ無いものの、目頭付近が赤みを帯び、違和感もあって気になるので、午後から眼科へ向かう。診断結果は麦粒腫、つまりモノモライということで予想通り。ただし、それだけじゃなく、両眼ともアレルギー性結膜炎を起こしているとのことで、点眼薬2種と内服薬を処方される。初モノモライ体験だったので、医師にちょっと質問してみる。
「モノモライって繰り返す人がよくいるみたいなんですけど、どうなんでしょうか?」
モノモライは体力が落ちて弱ってる時になりやすいし、今後も何度かぶり返すようなら他に何か病気がある可能性もあるから、その時はちゃんと全身の検査をした方がいいですよ、という話だったけど、特に体調がすぐれないとか、病み上がりとか、思い当たるようなことはないのになー。何が原因だったんだろう。
それにしても診察時間は正味5分ってとこだが、診療費が結構イイお値段であった。

これこそホリスティックと呼ぶにふさわしいかも

健康ブームが進行中で、健康を謳い文句にした雑誌やテレビが大流行している21世紀の日本だが、川村邦光著『セクシュアリティの近代』によると、江戸時代にも養生ブームがあり、貝原益軒の『養生訓』に代表される養生書がいろいろ出されていたそうで、今日見られる健康情報というのとは異なり、日常生活をいかに送れば健やかに天寿をまっとうできるか、その方法を示し、房事=性生活についての指南も含まれていた様子。なんでも飲食と房事が健康の鍵だったらしい。
で、道教的房中術の極意「接して洩らさず」がここにも見られるんだが、性交や色欲を倫理的に悪しきものとして扱うとかいう態度は一切無く、やりすぎると体に良くないぞよ、ほどほどにしなされ、っていう、ただそれだけのことなのだ。性生活も当然、人の営みの一つであり、適切に行えば精気=パワーを保ち、長寿につながるってのが面白い。
ま、男の側から述べた長寿に至る法ばかりが目に付く感じだけど、この頃の日本人にとってはまだ、人の振る舞いというものはおしなべて、天命を知る、というか、聖なるものに近づき交流する術になってたんじゃなかろうか。であれば、そりゃあ、適正なやり方で行うことが肝要というのも、至極当然であって納得する。健康というのは、乱れや歪みを生じさせない全き状態のことなわけね。